《〈たがやす〉とは土をつくり、
住まい、世話し、敬うこと。
わたしたちは本をたがやす。
本も、わたしたちをたがやす。》
本に線を引く。
余白にことばを書き込む。
気になる一行へ、何年もたってから戻る。
そんな小さな手の動きが、本をひらき、読む人を自由にしていく。
文化人類学者・吟遊詩人の今福龍太が、本とともに歩んだ時間の輝きを自伝的に語ります。
はじまりは、少年時代に夢中になった昆虫図鑑。
自分で架空の虫の図鑑をつくったこと。
十五歳で戸井田道三から贈られた一冊。
石牟礼道子『苦海浄土』のなかに、自分と同い年の少年を見いだしたこと。
山口昌男との出遭いや、メキシコ、バークレーの書店をめぐる記憶から、読書が身体を動かし、現実の世界へつながっていく姿が浮かびます。
何を読めばいいのか。
厚い本はどう読めばいいのか。
読んでも覚えていなくてよいのか。
身近な問いから、語りは、本の物質性、言葉にひそむ謎、引用から生まれる創造、そして「しあわせ」の意味へと進みます。
〈文化〉を意味するcultureの語源、ラテン語colereには、耕すだけでなく、住まう、世話する、敬うという意味がある。本をたがやすことは、本を生かし直し、本によって自分もたがやされる、相互のいとなみです。
世界の痛みを感じながらも、喜びや自由を手放さずに生きるには。
知識の獲得だけでは捉えきれない読書の経験を、個人的な記憶と具体的な手ざわりから語る一冊です。
本とあそび、本にまねび、読むことと生きることをむすびなおそうとする人々のために。
聞き書き五章に加え、本のある恩寵のような光景を挿絵とともに綴る書き下ろし「瞬間の書景」十篇も収録。