忘れられた引揚げの物語
引揚げとは何だったのか。その問いは、ある日ふと、長門の画家・香月泰男の〈シベリア・シリーズ〉の前で、胸の底から立ち上がった。香月が舞鶴から帰還したその頃、近くの仙崎港にも、まだ引揚げの余波がつづいていた。だが調べてみると、日本で最初に引揚船が入港したのは舞鶴ではなく、仙崎港のほうであった。昭和20年(1945)9月2日、「興安丸」が釜山から仙崎へ帰還し、5000とも7000ともいわれる人々が、荒廃した祖国の土を踏みしめていたのである。しかし、その歴史は長く語られなかった。敗戦の痛手は深く、引揚者たちはしばしば「特別な眼」で見られ、沈黙を選んだ。
仙崎という「第二帝国」の入口
仙崎は、戦前と戦後が触れ合う境界の港であった。終戦前日の8月14日には、731部隊が早くも帰還していた。そして終戦後の一年間で、外地から41万人余りを迎え、内地から34万人余りの朝鮮人を送り出した。
仙崎の古刹・圓究寺の本堂に残る香炉とろうそく立ては、外務省の「山津機関」が、ここで邦人帰還者の救護活動を行った証として今も残っていた。900年もつづいた観音信仰の寺が、戦後最初の「衆生救済」の場となったことは、歴史の偶然を超えた、神秘だった。
ヤミ市のざわめきと、戦後の胎動
仙崎の海辺には、かつて朝鮮人収容所があり、周囲にはヤミ市が生まれていた。暴力と混沌、自由と欲望が入り混じる、戦後日本の胎動があった。敗戦と同時に崩壊した配給制度の隙間を縫うように、人々は食糧を求め、物資を求め、明日を求めた。その喧噪は、やがてドッジ・ラインの実施とともに消えていく。
引揚者たちが切り開いた、新しい日本
本書では、戦後日本の再生を担った引揚者たちの姿を描き出した。秋吉台の大理石産業、向津具半島の植林、日置の酪農、徳佐のリンゴ園……。そのどれもが、荒廃した国土に未来を植えようとしていた。引揚者住宅から生まれた中間層は、やがて高度成長の背骨となってゆく。文化の世界でも、仙崎港から引揚げた松本清張、本田靖春、立花隆、森田拳次、藤田敏八らが、文学、評論、漫画、映画の各分野で戦後社会を牽引した。彼らの作品の奥底には、仙崎での帰還体験が、見えない水脈のように流れている。
80年目の海へ
令和7年(2025)は引揚開始から80年の節目であった。そこで、日本最初の引揚港として、第二帝国の幕開けを先導した仙崎の記憶を未来へ手渡す必要があると考え、出版に踏み切った。占領軍写真を有するニュージーランド国立図書館をはじめ、国内外の多くの機関と市民の協力を得て出版出来た、初めての本格的な仙崎引揚史が『帰還の港 SENZAKI』である。美しいだけの仙崎の海だが、その静けさの底には41万人余りの帰還者たちの沈黙と再生への祈りが残る。本書は、その記憶の断片をすくい上げ、つなぎとめ、消えかけた足跡を追い戦後日本のもう一つの出発点を見つめ直すための一冊である。