1937年から1938年にかけて、飛騨考古土俗学会の雑誌『ひだびと』で考古学の論争がおきた。当時勢いのあった縄文土器の編年研究に対して、土器の用途を究明することが考古学のあるべき姿だとする問題提起がなされ、編年研究者が反論した。これまで考古学の世界でこの論争が扱われてきたが、今回、政治学的、現象学的に検討した結果、論争の構造、意味、意義、課題があきらかになった。
内容
はじめに──いつだれがそれを「ひだびと論争」と名付けたのか
1 ひだびと論争を読む──1930年代後半
1 赤木清「考古学的遺物と用途の問題」
2 甲野勇「遺物用途問題と編年」
3 赤木清「考古学の新動向」
4 編年論対用途論のクライマックス
5 ディスコミュニケーション
6 八幡一郎「先史遺物用途の問題」
7 山内清男の不在
2 ひだびと論争の弁証法──赤木清の矛盾
1 自己批判的「行きづまり」
2 ひだびと論争の前哨
3 「大胆な」石冠論
4 プロレタリア考古学
5 ひだびと論争の弁証法
3 生きられたひだびと論争──1970年代初頭
1 都出比呂志「森本六爾論──いわゆる東京考古学会グループの評価──」
2 斎藤宏「『ひだびと論争』の諸問題──その素描──」
3 「『ひだびと論争』の諸問題」の意味
4 「森本六爾論」と「『ひだびと論争』の諸問題」の異同
5 ふたたびプロレタリア考古学
おわりに──用途論と文化人類学