既出の10本の中上健次論に加えて、書き下ろし「小説という出来事 「秋幸三部作」論」「枯木灘の波音」の二篇を収録。
中上健次生誕80年の年に、改めて、中上健次作品の可能性を拓き、「小説という出来事」とは何かを問う。
「中上健次が短すぎる生涯を閉じてから今日まで、三十五年ほどの時間が流れている。本書には、その流れの節々で、求めに応じ、あるいは、みずから求めて筆を執った論評類が十二の章として収められている。……ここにあるのは、それぞれ独立した個々の作品論・作家論であり、それを支えるいくつかの分析方法であるが、全体に共通するものがあるとすれば、それは、「出来事としての小説」とでもいうべき作品風土への関心となる。
古今東西、これまで無数の小説が無数の出来事を描いてきた。だが、描くことそのものが一個の「出来事」であるような小説というものは滅多にみかけないし、潜在的な可能性を考慮に入れてもなお、それを書きえた作家というは、かつてもいまも、ごく稀少な例外として留まっている。中上健次は、数少ないその有力な例外であるというのが、ここに筆を執る者の積年の確信だが、このとき、本書の目次はいわば、そうした中上健次の作品風土の、いくつかのポイントにむけらた「扉」のネームプレートのごときものとなる。」(「まえがき」より)