水面に触れることは、世界に触れることである。1943年、大阪府吹田市に生まれ、京都大学工学部で学んだのち、技術者としてではなくアーティストとして独自の道を歩み始めた池田一。1980年代初頭からは「地球を彫刻する」という壮大な構想のもと、水をテーマにしたアートプロジェクトを世界各地で展開。以来半世紀近くにわたり「水」という誰の所有物でもない素材に導かれながら、人間と自然、個人と地球の関係を問い直してきたその全軌跡を、本書は「IKEDA WATER――未知の未来を開拓するアート文化の新潮流」として、総括する。
全七章から成る本書は、水面をピアノの鍵盤に見立て、人間には制御し得ない水との「共生の表現」を試みた原点「WATER PIANO」に始まる。続いて、アートとそうでないものの境界そのものを絶えず揺さぶってきた「WATER MIRROR」、そして「個人」「国家」「地球」という三つの視座から、あなたは何から書き進めるかと世界に問いかける「BOOK of WATER」「UNITED WATERS」へと展開してゆく。さらに、地球上のあらゆる河川がひとつに繋がっているという認識のもとに惑星規模のネットワークを構想した「PLANETARY NETWORK」、来る者と去る者が交錯する水辺という緊張の場に水を奏でることで平和を呼び寄せようとする「EARTH ART SOUND」、そして地域社会に未来志向の新しい人の流れを生み出す「WATERPOLIS」まで、池田水系の思考は一貫して「個」から「地球」へと、休むことなく広がり続けてきた。
その活動の舞台は、サンパウロ・ビエンナーレや国連本部、世界水フォーラムだけにとどまらない。東京・上野の不忍池から鹿児島の限界集落まで、都市の中心と地方の周縁とを分け隔てなく行き来しながら、池田一は国境と制度を越え、アートの枠組みそのものを問い直し続けてきた。
本書のもう一つの読みどころは、各章に収められた膨大な批評・寄稿の数々である。日本の舞踏家・作曲家・サウンドアーティストたちに加え、美術手帖、朝日カメラ、毎日新聞、沖縄タイムズといった国内メディア、さらにブラジル、マレーシア、韓国、台湾、香港、カナダ、アメリカなど、世界各国のアートジャーナリスト・批評家・キュレーターたちが、それぞれの言語と視点から池田一の作品に言葉を寄せている。1986年から2000年代初頭まで各国の新聞・美術誌を通して積み重ねられてきた国境を越えた反響の記録は、マサチューセッツ工科大学出版局(MIT Press)刊行の学術書『SCREEN ECOLOGIES』への収録も含め、そのまま国際的な美術批評史としても読める。
序文に始まり、七章にわたる作品群の記録、引用文献リスト、著者略歴、写真クレジットまでを収めた本書は、一人のアーティストの創作史であると同時に、水という誰もが分かち合う物質を通して「個人」「国家」「地球」の関係を問い直す、開かれた思考の記録でもある。国境も制度も専門領域も越えて広がり続けてきた「水のアート」の全貌を、ここに一望できる一冊である。