日本語近代紀行文学の不朽の名著『どくろ杯』。情報豊富な注釈、論考と索引をもとに、文学的虚構を織り交ぜながら綴られる金子光晴の「自伝」をあらためて辿るための1冊。
1971年の刊行以来、詩人の若き日の「絶望的な放浪」記の名著として読みつがれる金子光晴『どくろ杯』。
そこに登場する多彩な人物をはじめ、地名、書誌など600項目以上にわたり『どくろ杯』本文で言及される事項を4名の研究者が「金子自身の文章を可能な限り見つけ出して引用」する形で注釈を一覧に。
パートナーにして当時は金子光晴よりも高名であった森三千代を鍵に『どくろ杯』の成立を考察する論考や、金子の詩的感性やそのネットワーク、またアナキズムとの関わりなど、充実の小論考も。
更に中公文庫版の本文ページをもとにした索引を付して、注釈・論考・索引の3本だてで、虚実入り交じる『どくろ杯』の世界を旅する何よりの伴となる1冊。
「上海へは大勢人が来たが、金子さんのようにすみずみまで歩いた人ははじめてや」
と、内山先生が感心していた。 ―『どくろ杯』より
この注釈本の一創意として、その注釈項目に関する金子自身の文章を可能な限り見つけ出して引用することを旨とした。言わば、金子自身をして金子文学を説き明かすことであり、可及的に著者自注に近いものを心がけた訳である。それは特に実名小説『どくろ杯』中にふんだんに登場する作家・詩人たちの場合に、およそ類のない特異な効能を期待することができる。まさに、金子の描く人物評は人の意表に出るものであり、言わば「陳腐」という概念から最も遠いものの一つである。(本書「後書き」より:竹松良明)
当の金子はどのような人間的魅力を私たち読者に伝えてくるのか。それは一口で言えば、彼を取り包んでいた時代の情勢がその身に沁みこませている「安直なニヒル」や「芝居の面あかり見得にも似たダンディズム」といった虚飾を脱ぎ捨て、ぎりぎりのところにあるじぶんらしさを立ち上げてくる点にあると思う(本書「まえがき」より:大橋毅彦)
今では「金子光晴の妻」としてしか知られていない森三千代は、昭和前期においては夫よりも高名な作家であった。金子光晴の自伝三部作は、細部にわたり、その多くが妻の作品を下地にし、または夫妻の共同作業によって創作されたと言っても過言ではない。(本書「論考編」より:趙怡)
生気に満ちた水と死の臭いを嗅ぎとる水、『どくろ杯』にたゆたう活気と不安の世界を表象する水は、先の「日記一束」に重なる詩集『水の流浪』における多彩な表情の探究に連なるものでもあるだろう。(本書「論考編」より:宮崎真素美)