『音読という自由』は、この文を読むあなたに宛てた、音読への招待状である。
音読は、自分のために、ただ声に出して読むこと。
「わかる」に捉われない本の読み方を小説家・俳優・演出家が提案します。
本好きにも、読書が苦手な方にもお勧めしたい、すべての本へのまなざしが変わる一冊。
「音読」のいいところは、誰にでもできるところ。
本書は黙読だけでなく、音読されること(声に出して読まれること)を想定しています。
家で、街で、野外で、音読を楽しめるルビ付き!
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「文を読むことは、なぜ、現実の身体に影響を及ぼすのか?」本書はそのような関心を巡って、次の三者が行ってきた探求をまとめたものである。
〈小説家〉― 書く人
〈俳優〉― 演じる人
〈演出家〉― 観客に届ける人
〈小説家〉にとっては文体が、〈俳優〉にとっては身体が、読むときの拠り所になる。では、ただ声に出して読む行為はどうだろう。誰の専門でもないのではないか?〈演出家〉がそのように言って、「音読」というアプローチは生まれた。
Ⅰ章では、黙読における「解釈」とも、読み方の「学習」とも、朗読的な読み手の「表現」とも異なる音読に着目する。
Ⅱ章では、読む身体のあり方を確認したのち、文の方により着目する。
Ⅲ章では、私たちの専門性に関わる「戯曲」と「自作のテキスト」を音読の対象とする。
Ⅳ章では、聴き手の出現が文から身体への働きかけの到達点ではないか、という見通しを得る。
本書を通じ、小説や演劇に携わる方は勿論のこと、それらとは異なる専門性を持つ方々にも音読の可能性が伝われば幸いである。そこから見える音読のすがたを、ぜひ私たちに教えていただきたい。(本文より)
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声に出して読むとき、文字は息を得て、目・口・耳をめぐり、身体の内と世界のあいだに新しい道をひらく。音読とは、意味を理解し、誰かに伝えるためだけのものではない。自分とことばと、まだ名づけられていない世界が出会い直す、小さく深い自由である。
—— 稲葉俊郎(医師、作家)
音読もまた、そうした「音楽になる前の状態」を抱えている。文字を声に置き換えるとき、楽譜を音にする前の作曲家や音楽家の耳に少しだけ触れたような気分になる。言葉は、黙読しているときには線のようだが、声に出した途端、時間のなかを流れる粒になる。
—— 須藤岳史(古楽器奏者/寄稿文より)
本文組版・装幀 洛北出版
【目次】
序 なぜ音読か
Ⅰ 自分のための音読
読む姿の出現/読者と演者との境界
Ⅱ 聴き手であることの創造性
文を音として再生する/集中の対象/コレクション
Ⅲ 消滅の危機
戯曲音読の奇妙さ/野外音読のハレーション
Ⅳ 聴き手の宇宙
索引